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カラーチェの歴史
 
 

●初代 ニコラ・カラーチェ Nicola Calace(1794~1869)


1794年イタリア、バジリカータ(Basilicata)州、ポテンツァ(Potenza)近郊のピニョーラ(Pignola)に生まれた。
1820年に勃発したナポリ革命当時薬局を営み大地主だったニコラは熱心なカルボナリ派であったため、革命の失敗後ナポリ湾にあるプロシーダ(Procida)島に投獄されていたが、両シチリア王フランチェスコ1世の即位により恩赦された。おそらく投獄中にギターやマンドリンに親しんだために、釈放されるとすぐにこの島で1825年31歳の時にカラーチェ社を創立した。
ギター奏者としても有名であった。
息子アントニオに才能および技術を継承し、1859年にナポリで死去。

 

●2代目 アントニオ・カラーチェ Antonio Calace(1828~1876)

1828年プロシーダで生まれる。
父の才能を受け継ぎ、カラーチェ社の発展に貢献した。
ナポリのUniversity Lane n.13に引っ越しをしている。
リュート、ギター奏者としても有名である。1876年死去。



●3代目 ニコラ・カラーチェ Nicola Calace(1859~1923)


2代目アントニオの長男。
弟ラファエルと協力し、カラーチェ社発展のために多くの業績を残した。
また彼は作曲者、演奏者、歌手としても著名であった。
この時期にFRATELI CALACE社と社名を変更し
MANDOLIRAという特殊なマンドリンを作成し特許も取った。
20世紀になったころからニコラと弟のラファエレは次第に対立し始めるようになり、
ついにニコラはアメリカに移住した。その時期については1989年説、1901年説等があるが、
1911年説が一番可能性があると思われていて、カラーチェのホームページでもそのように書かれている。
というのは1903年製のニコラ作のマンドリンが存在しナポリの住所が記入されているため、1903年以前に渡米したという
ことは否定されるからである。他にも1908年製のものも存在するということである。
尚ニコラが渡米して以降Nicola Turturroニコラ・トゥルトゥッロという名前で特殊なマンドリンを作ったという話があるが、
このニコラ・トゥルトゥッロとニコラ・カラーチェは別人であり、ニコラ・トゥルトゥッロとニコラ・カラーチェが共同で裏がウクレレ、表がマンドリンという楽器を作ったということが判明している。
1923年アメリカにて死去。
アメリカにMichael A. Calaceという人がいて映画俳優もしくはディレクターの仕事をしているようですが、その人がニコラカラーチェーの
子孫のようだ。 
 
 

●4代目 ラファエレ・カラーチェ Raffaele Calace(1863~1934)


2代目アントニオの次男。マンドリンの改良に大きな業績を残し、
カラーチェマンドリンの名を一層有名にした。
19世紀中ごろまでいろいろな型があったマンドリンもこの頃ナポリ風が支配的となってきたが、
彼はフレットを29まで延長しマンドリンの音域を4オクターブ以上に広げて、おおむね現在のようなマンドリンの形にした。
また180曲のの作曲やマンドリンの教科書も著名である。
1925年(大正14年)2月にはわが国を訪れ、その当時摂政だった昭和天皇より称号と勲章を授与されている。
この期間には社名をProf,Comm,Raffaele Calace&Figlioと改名している。

●5代目 ジュセッペ・カラーチェ Giuseppe Calace(1899~1968)


4代目ラファエルの次男。幼時より父に従い技能を継承した。
またマリア、ビクトリアの2人の妹と共にトリオを結成し、
ナポリのSt.Carlo劇場で演奏会を開いた。
第二次世界大戦後、一時とだえていたカラーチェ社を再び創立する。
ときのビットリオ・エマヌエル皇席より称号を授けられる。



●6代目 ラファエレ・カラーチェ Raffaele Calace(1948~    )


5代目ジュゼッペの息子。幼時より優れたギター、マンドリン奏者として注目されていた。
1968年、カラーチェ社を継承し、現在カラーチェマンドリンの製作にあたっている。

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